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2011年3月23日 (水)

非日常な日常を、心して受け入れるぞ、という宣言@赤坂オフィス

大震災が起きた日から、自分の周りの世界が少しおかしくなってしまった気がする…ゆがんでいるような、ひずんでいるような。

警戒出動がかかったから、消防団のみんなで、小屋に集合したんだよね。それから、AEDチャリンコに載せて走って、一時間以上も来なかった救急車をようやくの思いで見送って、それから、夜通し震災情報を流すテレビ見て。

土日、家に帰ってからも、津波の映像に魅入られたように、テレビの前から動けなくなってしまった、連れ合いとふたり。

月曜日。連れ合いも自分も、普通に出社。大震災と津波被害に心を奪われていた龍之助に、職場で襲い掛かったのが、原発事故という大問題。

それでも、その時は、龍之助は、この「非日常」が、紛れもない「日常」なのだと、気付いていなかったのです。

震災直後から、ほとんど活用していなかったツイッターを読むようになり、フォローする人を少しづつ増やして、様々なソースからもたらされる最新の「情報」に接するように心がけていたら、何だかツイッターを読んでいないと不安を感じるようになり、夜も寝不足気味になって、でもだからって、生活上何かが変わるわけでもないし。

出勤して、必要な仕事をこなし、あとは震災被害と、原発事故と、これらを巡るすさまじい情報の渦を前に、途方にくれてみるだけ。

それでも、街に出てみれば、やっぱり変わらない「日常」がある。連れ合いは毎日、同じように仕事に出かけ、お友達は相変わらず飲み屋に集い、街を歩けばご近所のお知り合いに出会い、いつものお店は開いてるし、連れ合いは毎日お仕事に出かける。

なんか、自分だけ、取り残されているみたい…

この脱出できない非日常感覚は、なんだろう?

と、考えてみても、答えはないのです。

だってここが、ここにいる自分が、日常なんだから。

間違えた道を、間違えたと知っていながら、後戻りもできずに、苦い思いでひたすら歩くしかないような、この感覚。

東京の水道水に放射性物質だって。何か、笑っちゃう。最近連れ合いが、水道水の蛇口につける浄水器を新しくしてくれて、「水美味しくなったよね~」って、言ってたばかりなのに。

あの震災前に戻って、同じような日々を取り返せる道なんて、ありえないとは分かってるけど。

あ、こんなことだらだら書いていると、「実際に被災した人達は、家を家族を失った人は、もっともっと辛い思いしているんだぞ!」なんて、怒られそう。

でもきっと、私達はみな、同じように、日常を喪失したんだと思う。

そして非日常を受け入れて、生きていく決意をしなければならないんだと思う。

希望なんて言葉、安易に言えないし、一部の評論家が言うように、震災を契機に、日本がひとつになったなんて、肌感覚として、到底思えない。

被災者の皆さんの気持ちは重すぎて深すぎて、私には到底分かち合えない、ということだけは分かる。

だからこそ、そんな日常を受け入れなければいけないのだ、と自分に言い聞かせる。

言い聞かせて、また一歩、前に進むのです。

たぶん明日からも、龍之助は、今までどおり、笑って街を歩いてると思うのですけど、それは単純に、笑っていれば、笑い返してもらえるから、ってことなのです。

「こだまでしょうか、
いいえ、だれでも。」 by 金子みすゞ @AC

我が家は、結構好きですよ!ACのCM。

ぽぽぽぽ~ん♪

こうして、日常に生きる感覚を、取り戻さなきゃ!ね!

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